Passion Models[P35D-014]1/35 アメリカ軍歩兵用・弾薬箱デカールセット
販売価格: 1,760円(税込)
厚さ: 5mm
商品詳細
平野義高氏監修によるアメリカ軍歩兵用のデカールセット
●アメリカ軍歩兵に使える「US」デカールを各種装備品のサイズに合わせたセット
●各種バッグやポーチ類をリアルに演出するマーク群
●フィギュアに馴染む色彩
●ヘルメットの認識マークは中尉と少尉用の2種類
●携帯無線機の銘板と注意書き
●50口径、30口径のAMMO BOX、木箱用ステンシル
また、Passion Models[P35D-001]アメリカ陸軍記章デカールセットの一部を同梱しています。
<詳細解説>
マイスター平野義高氏がタミヤから発売されたアメリカ軍歩兵偵察セットに使う「US」デカールを監修しました。
ディテールにこだわる平野氏はデカールの極限を追求/要望。ようやく製品化できました。
米軍装備品に貼る「US」デカールはフィギュアのクォリティーを高めてくれます。
「US」デカールは平野氏の指示でフィギュアに貼って馴染む色彩にし、ニスをマット仕上げにしました。
なお作成した「US」デカールは汎用性のある物で異なるアイテムに使用しても問題ありません。
そして50口径、30口径のAMMO BOX、木箱に使用する黄色のステンシルを加えました。
こだわりのモデラー垂涎のデカールになりました。その素晴らしさを、是非、虫眼鏡で確認してください。
米軍の装備品は米国内外のあらゆる工場で製造されたため、様々なフォントが存在し、文字の大きさも決まりがなく多くのバリエーションが存在します。
装備品は大戦初期では、前の第1次世界大戦当時生産/使用していた物(在庫品)を使用していました。
ほぼすべての装備品は茶系のカーキ色でしたが大戦がすすむにつれグリーンっぽくなり、1943年以降は着衣・装備品が一新されOD色(オリーブドラブ)になりました。
過渡期には一部のマガジンポーチ等では本体がカーキ色で縁やストラップ・ベルトがOD色の物が存在し、コンバーチブルと言われています。
少数ですが英国でも生産され、目の荒い素材が使われブリティッシュメイドと呼ばれていました。
野戦服(上着:フィールドジャケット M1941/1943 Field Jaket OD)はオリーブドラブ色。ズボンは茶系の強いOD色のウールトラウザーズからカーゴポケットの付いたグリーン系OD色のM1943コットントラウザーズに変更になりました。ただ戦場の土壌、洗濯状態、日焼け等で退色し様々な色の軍服が存在していました。
※英文表記は正式名称、表記のODはオリーブドラブの意味。
【デカール内容】
<歩兵用>
1:フィールドバッグ Field Bag M-1936
Midget Bag(通称:ミゼットバッグとも呼ばれていました)
荷物を入れる雑嚢バッグ。上部のナスカンにDカン付きストラップ(Strap Carring Bag Canvas Field OD)を付けてサイドにぶら下げることが多い。空挺部隊で多用されていました。ジープや車両の横にぶら下がっているのが大抵このバックです。
2,3:ショットガンポーチ Pouch Ammunition Shotgun
ショットガンはハーグ条約で使用を制限(違反ではない)された銃なので、基地内の歩哨が使用していました。第二次大戦では最前線の歩兵はショットガンを持つことはあまりありませんでした。ポーチには散弾を12発収納。
4:水筒カバー Canteen Cover M-1936
水筒(キャンティーン)は第1次世界大戦時に生産された物を第2次世界大戦でも引き続き使用。1901年から生産された水筒はアルミの一体型ボディでキャップもアルミ製。1936年以降に生産された水筒はステンレス製で上下2パーツを組み合わせた物でフランジ(接合部)が付いています。キャップはベークライト製(黒色)、水筒は取手付きのキャンテーンカップと組ませて水筒カバー内に収めます。
4,9:スコップカバー Entrenching Tool Carrier M-1943
塹壕掘用のスコップ(Entrenching Tool M-1943)を入れるカバーです。色はカーキからOD まであります。正式名称はエントレンチング1943で、米軍はスコップやシャベルとは呼称していません。
4:B.A.R.の弾帯ベルト B.A.R. Magazine Belt M-1937
B.A.RはBrowning Automatic Rifleの略。M1ガーランド銃と同じ30-36弾を20発装填したマガジンを各ポケットに2個づつ入れ計12本を携行できるようになっています。6個あるポーチで計240発。かなりの重量になるのでM1936サスペンダー等を必ず付けていました。B.A.R.はテレビドラマ「コンバット」でカービンが持っていた機銃で、記憶にあるモデラーも多いと思います。個人で携行できる機銃として重宝なためか朝鮮戦争時に再生産され使用されています。
4:アミュニッションバッグ Ammunition Bag
手榴弾や弾入れとして使用。トンプソンの弾倉(20発弾倉)を入れることが多かったのでトミーバッグと呼称されていました。
5,6:軍用テント Tent Shelter Half
このハーフテントは2人が持ち寄り1組のテントを完成させます。毛布などと一緒に巻き、背嚢の上に結び付けることもありました。
7:シャベル Shovel M-1910 これもエントレンチングツールで柄の部分の形状からTボーンと呼ばれていました。
8:M1ガーランドの弾帯ベルト Cartridge Belt M-1923
8発装填されたクリップを10個のポーチに収納。全80発を携行していました。右(右手側)の穴にWフックワイヤーでFirst Aidバッグを付けていました。ベルトの右後ろには水筒、左には銃剣を付けていました。重くなるベルトを支えるM1936サスペンダー等を付けていました。拳銃のガバメントは将校や通信兵などが携行し、M-1916ホルスター(革製:無着色の茶色、ベトナム戦頃から黒革製に移行)に入れてピストルベルトに付けていました。戦車長は肩かけのM3ショルダーホルスターにガバメントを納めていました。
10:M1カービン銃マガジンポケット Pocket Magazine Double-web Carbine gun Caliber:30・M1
15発装填のマガジンを2個収納。計30発。裏のボタンでベルトのドットボタン(左のみ)に付けました。 本来はピストルベルトに付ける物をあまり銃を撃つ機会のない将校や通信兵、車輌部隊の兵士などがM1カービン銃の銃床に巻き付けて使用していました。当時の写真を見ると、時折このポケットを上下逆に付けていることに気が付きます。これはマガジンを交換する際、ポケットから上に引き出すより下に抜いた方が敵に身を晒すことがないという戦場で古参兵が生き残る知恵のようです。M4シャーマン戦車内のライフルラックにはこのM1カービンが人数分装備されていました(1944年グリースガンが採用されるまで)。
10,14:M1カービンのマガジンポーチは2種類あり後ろにベルト通しが2本縫い付けられているものはピストルベルト専用でストックには取り付けられません。
11:ワイヤーカッターポーチ Wire Cutter Pouch M-1938
12:マップケース Case Dispatch Canvas M-1938 (通称:Map Case)
将校用、地図以外も入れて肩から下げました。テレビドラマ「コンバット」では衛生兵が赤十字のマークを付けてメディカルバッグ代わりにこのマップケースを使用していました。
13:ファーストエイドポーチ First Aid Pouch
救急用品を入れたポーチ。通常、右前に付けます。
15:海兵隊用ベルト Marines Belt
U.S. M.C.の文字がベルトの裏側に印刷されていて、通常は見えません。
16:ハバーサック Haversack M-1928
背中に背負う雑嚢入れで行軍に必要な物を入れて使用しました。上部にはメスパンポーチ(調理/食事用アルミ・ステンレス製食器:Can Meat Corrosion Resistants収納)を取り付けていることが多いです。メスパンポーチにはUSの文字が付いていない場合が多い。
17:キャリーバッグ Carrier Bag M-1928
ブランケットロール、毛布を丸めて入れておく。USの文字がなぜか逆に付いていることが多い。
18;M1ガーランドのバンダリア M1 Garand Bandoleer
M1ガーランドの8発クリップを6個納めた補給用の簡易で安い素材で作られた袋。木箱や鉄製コンテナに詰めて前線に配給。受け取った兵士は体に巻き付けるなどして携行。使用後には捨てられました。
19:CAL.45ポーチ CaL.45 Pouch
ユニバース・アムニッションポーチ。銃の弾倉以外に手榴弾なども入れていました。
20:M3グリースガン用ポーチ M3 Grease Gun Pouch
M3グリースガンの30連弾倉を収納するため、CAL.45ポーチより少し長い。
21:胸ポケット
海兵隊独特のツナギの胸ポケットにマークが印刷されています。
22,28,29:SCR-536 Hand Talkie(ハンドトーキー)
Galvin Manufacturing (現モトローラ)製携帯無線機用の銘板と使用上の注意書き。因みにこの無線機の交信範囲は地形により変化しますが概ね約100 メートルから陸上で約1.5 km、水上で約5 kmくらいで案外狭いです。
30,31:SCR-300 portable radio transceiver(携帯型無線機)
大戦中にアメリカ陸軍の通信部隊が使用した携帯無線機用の注意書きです。
※AMMO社[AMIG8919]1/35 米 SCR-300 携帯型無線機等がありますが、現在入手困難となっております。
43:ヘルメット M1 Helmet
大尉用ヘルメット(前のみ)
44:ヘルメット M1 Helmet
少尉用ヘルメット(前)、後ろは太くて長いマーキングが雑にペイントされていました。このマーキングは戦闘が激化するにつれ、目立つマーキングが敵狙撃兵に狙われやすく、書かれなくなりました。
<AMMO>
アメリカ国内で大量生産された銃弾を戦場に送り、すぐに使用できる様にAMMO BOX(弾箱)にリンクされた状態で入れ、さらに木箱に収めて最前線に送られました。そのAMMO BOXには弾の種類、弾数、製造地、ロットが黄色のステンシルで書かれていました。想像を絶するくらい大量に製造された弾薬は各戦線に届けられたAMMOは同じロット番号が集まっていたと考えていいでしょう。使用して空になったAMMO BOXは後方に送られ、そこでバラで送られてきた銃弾を再度リンクした弾帯をAMMO BOXに詰め(リパック)、最前線に送り返していました。リパックする際、AMMO BOXに書かれていた弾の種類やロット番号等を消し、新たに書き換えられ、REPACKEDもしくはRPKDと表記されていました。当時、銃弾の品質管理には細心の注意が払われていました。
23,24,25:CAL.50(50口径) AMMO BOX
M4シャーマンなどに車載されたCAL.50は戦車の天敵航空機を撃ち落とすための対空機銃でした。機銃架のロックを外すと機銃の重さもあり銃身は自然と上向きになり、対空射撃がやりやすくなります。銃架にAMMO BOXをセットするとステンシルが前方にきますが蓋で隠れる(蓋は外して使用した場合もある)裏(手前)は何も書かれていません。LINKEDはリンクされた状態。弾の種類BALL(BALL M-2): 通常弾、歩兵用。AP(アーマーピアッシング弾):徹甲弾、API:徹甲焼夷弾、I:焼夷弾、TR(トレーサー弾):曳光弾。表記されているA.P.I. M-8(M-8徹甲焼夷弾で撃った弾道が光って見える)は対航空機、対車輌用です。地上施設(トーチカや無線基地)の攻撃にも多用されました。
26,27:M-1917(水冷)/M-1919(空冷)用(30口径)AMMO
表記されている4A.P. 1TRは歩兵用で徹甲弾4:曳光弾1の割合でリンクされて入っています。
35、39、40、42:CAL.30(30口径) AMMO BOX
リンクされたBALL M-2(M-2通常弾)が入っている木箱 箱は茶色に塗装され、弾の種類等は正面、右側面、上面のみで裏、左側面、底面には何も書かれていません。
茶色の箱以外にも木肌のまま(黒ステンシル)の物もありましたが、今回は省略させていただきました。
市場に真新しい木箱が出回っていますが、それの多くはリプロダクツされた物です。
【訂正】
インスト内のNo.43の説明に誤りがありました。
中尉用ではなく大尉用のマークが正しい説明となります。
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